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2008年11月23日

フクダ採点方式公開 ~新たなる採点の日々の夜明け~

フクダ採点方式(FGM)、ついに公開



0~100点で評価する時代は終わるのだ。
新たな採点方式「フクダ採点方式(FGM)」の登場によって。

フクダ採点方式公開 ~新たなる採点の日々の夜明け~

今回は、僕が考えた驚異的な採点方式を
本邦初公開したいと思う。

と、公開する前に、現在の100点満点にする
無駄採点方式
について言及しておこう。


本当に「100点」が素晴らしいの?



そもそもいったい誰が100点が素晴らしいなんて決めたのだろうか?
わざわざ10問のテストを1問10点にして100点満点にするとかおかしいと思う。

フクダ採点方式公開 ~新たなる採点の日々の夜明け~
「まいりました!」ってなんでやねん

むりくり100点満点にして得することなんて、
これといってないと思う。
逆に、無駄に100点が偉い、なんて思想がはびこっているから、
テスト結果でいじめなんてものが産まれるのだ。

例えば。
難易度が均等な5問のテストで、
100点満点の「無駄採点方式」を適応したとしよう。
難易度が均等だから、1問20点が妥当であろう。

1問が20点もある故、間違うと20点も引かれる。
ケアレスミスで3問間違ってしまったものなら、マイナス60点だ。
普通に1問1点にしておけば、5点と2点、
つまりたった3点の差で済んだのに、
無駄採点方式のせいで57点分も損をする。


無駄採点方式によって狂う人生がある


60点も違うと、小学生は
「おたくダメ人間ですよ」
と言われたかのようにショックを受け、
周りの児童からは
「なんかかわいそう、代わりに泣いてあげようか?」
的な同情がかけられ、本人は余計にダメージを受ける。
もともとあほな子だったり、
明るい子だったらなんてことはないかもしれない。

けど、性格が暗くて普段頭がいい子だったら?
もしかしたら、心ないいじめっこがここぞとばかりに
いじめてくるかもしれない。

フクダ採点方式公開 ~新たなる採点の日々の夜明け~
「お前、40点かよ、実は馬鹿だったんじゃねえか」
と。1問1点だったならたったの3点差で済み、
別に馬鹿にも見えないしいじめっ子も気にしなかったのに、
無駄採点方式」によって恥でもない恥をさらされ、
一人の人生が変わってしまうかもしれない。

いや、きっと変わってしまった人がいると思う。

こんな、無駄なことはもうやめにしませんか。
こんな、バカなことは終わりにしませんか。


フクダ採点方式(FGM)が解決する


誰も傷つかない、けれどみんなが納得する評価はできる。
それがフクダ採点方式(FGM)

そんな理想の採点があるのだろうか?

5点満点では、満点を取ってもうれしくない。
かといって、みんな100点に近かったら、それもうれしくない。
みんなが納得でき、比較することもなく、点数を貰ってうれしい。
そんな点数の幅を見つけなければならない。

フクダは考えた。
そして、閃いた。

みなさん、思い出してほしい。
基本的に、小中学校は80点くらいが平均にならなかっただろうか?
難問が数問あり、簡単に100点は取れないようにしてあるが
基本的には解ける問題が大半。
もちろん学校によっては難しい場合もあるが、
そんな学校が普通だと思う。

80点くらいのところは平均的、
つまり、誰も傷つかない点数なのだ。

この傷つかない点数の周辺だけで上下させれば、
点数が悪いときでもイメージも見た目も悪くない。

80点周辺、ということで70点代も考えてみよう。
どうだろうか。
印象はがらりとかわり、ちょっとできなかったな・・・
というイメージが湧いてこないだろうか?

僕の母校でも、漢字テストや計算力テストは「80点以上」が
合格の定義だった。大半のテストがそうだ。
79点と80点では「地獄」と「地上」の差があるのだ。
フクダ採点方式公開 ~新たなる採点の日々の夜明け~フクダ採点方式公開 ~新たなる採点の日々の夜明け~地獄と地上の図。

つまり、点数の下限は80点が適切であるということが
立証されたわけである。

今度は上限を決めよう。

90点代はどうだろうか。
今度はうって変わって、
非常によく出来た、というイメージがあるのではないだろうか。

これまた母校の話で恐縮だが、
90点をとると豪勢な花丸がついた。
80点代は◎くらいなのに、90点代になると大層豪華になる。
また、90点以上は名前が呼ばれたり、
張り出されたりすることもあったはずだ。
89点と90点は「地上」と「天国」の差があるのだ。
フクダ採点方式公開 ~新たなる採点の日々の夜明け~フクダ採点方式公開 ~新たなる採点の日々の夜明け~地上と天国の図。

天国から地上を見れば、きっと優越感が全身を満たすに違いない。
結局、差別やヒガミが発生してしまうのである。
80点代のありがたみが失われてしまう。
よって、90点代もなくすべきだという結論に至る。

まとめよう。

つまり、80点から89点の間で推移させれば
誰もが傷つかないし、誰もが納得できる点数になるのだ。



フクダはさらに考えた


フクダはさらに考えた。
本当に点数の幅は80~89点でいいのか、と。

そう、これではまだ未完成だった。
危なかった。

まず、80点と89点について考えた。
これは「ぎりぎりOK」と「ぎりぎり90点行かなかった・・」
という多少ネガティブなイメージがついている。
いわずもがな、失くすべきである。
これについては、異論はないであろう。

さらに、88点に注目。
88という数字は、あまりにも高貴なイメージがありすぎる
8が一つでも末広がりだと言われているのに、
二個ならんだらどんだけ末広がんねん、ということになってしまう。
これは不公平だ。削除。

そして、さらに81点を削除することにした
これにも当然、深い理由がある。


81点を削除した深いワケ(FGMのポイント)


全ての点数を書き出してみよう。
僕が81点をなくした謎が解けるはずだ。

81,82,83,84,85,86,87

気づいただろうか。
そう、点数の種類は7個。奇数個である。
奇数個の場合、フクダ採点方式の中でも
優劣がハッキリ産まれてしまうという問題が発生する。

そう、84点が”普通”、それ以下が悪い、それ以上は良い、
という認識が自然と発生してしまうのである。
これでは、もともとのコンセプトが達成されない。
というわけで、一個削除する必要がある。

87点を削除してもいいわけだが、
そこはバランスを考え81点を削除。

というわけで、82点から87点を採点のゾーンとした。

無駄採点方式がもつすべての問題を解決。
それが、フクダ採点方式(FGM)。

フクダ採点方式公開 ~新たなる採点の日々の夜明け~

どうだろうか。
見事ではないか。
美しさすら感じやしないか。
無駄採点方式の弱点をクリアし、
むしろ採点にポジティブなイメージさえ植え付けてしまった。

採点に怯える日々が、終わりを迎えたのだ。
新たなる採点の日々の夜明けである。



実際に使ってみれば、そのすごさがわかる


さあ、実践してみよう。

はじめに例えた5問のテストはどうだろうか。
全問正解なら、87点。
3問間違えても、84点。
さらに、全問不正解でも、82点。

いかがかな。
誰が傷つくのだろうか?
フクダ採点方式だったなら、
のび太はいじめられただろうか?

フクダ採点方式公開 ~新たなる採点の日々の夜明け~

きっと、のび太はジャイアンと、
真の心の友になっていただろう。
ジャイアンは映画だけでなく、
通常放送でも優しかったはずだ。



さらに実践してみよう


場面は変わって、
仲のいい友達に彼女(彼氏)を紹介されるシーンを想像してほしい。

ある日、友人に「親友の貴方に、ぜひ付き合っている人を紹介したいの」
と連絡を受け、会いに行ってみたあなた。
しかし、友人の彼女(彼氏)はどうみても自分の好みではない
むしろ、世間的には決してイケてるとは言われない類の感じであった。

そう感じてしまったあなたが、仲のいい友人に
彼女(彼氏)、かっこいい(かわいい)でしょ?
と聞かれたとしよう。

あなたはどう答えるだろう?
「う、うん・・・ええやん・・・」と微妙な返事を返す?
「わたしは好みじゃないなー、23点!」とはっきり言う?
どちらにせよ、その友人はあなたの微妙な空気を察知し、
「あら、わたし変なこと言ってるのかしら」
と気づき、多少なりともショックを受けるかもしれない。

しかしフクダ採点方式を知っていたら?
「彼女(彼氏)、かっこいい(かわいい)でしょ?」
と聞かれたときに、迷わずこう答えればいいのだ。
「うん、83~84点くらいかな!」
と。

いかがかな。
誰が傷つくのだろうか?
友人は、ちょっと彼女(彼氏)の評価が高いような気さえする。
それは、小さい頃から植えつけられてきた
”80点以上=平均以上”
という方程式が深く根付いているからだ。


フクダ採点方式(FGM)を使おう


馬鹿にすることなかれ、
使ってみると意外と使い勝手がいい。

「まあまあ」「すごく」「なかなか」など、
曖昧すぎる言葉が多すぎる世の中。
はっきりと点数を言っても傷つけることなく理解できる
フクダ採点方式(FGM)は、こういった「曖昧な表現」にうって変わる、
無限の可能性を秘める、恐ろしい採点方式なのだ。

フクダ採点方式公開 ~新たなる採点の日々の夜明け~

いや、採点方式の枠を超え、
いじめ問題、エコ、事件の減少などのよりよい社会を生み出す
世直しツール」として作用してくれることを願っている。

そして、一刻も早く無駄採点方式がこの世から淘汰され、
世界に平和な日が訪れることを祈っている。

最後に。
本当に、長々とふざけた文を失礼いたしました。笑

んちゃ。


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