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2009年03月10日

「頑張りすぎるなよ」という言葉の本当の意味

頑張りすぎるなよって?



頑張りすぎるなよ

最近、この言葉がとかくむやみに
使われている気がしてならない。

しかし、むやみやたらに言っていい
言葉なのだろうか?

こちら、最近オンエアーされて話題になっているauのCM。


auというビッグブランドのCMで、
絶大な人気を誇る嵐の松潤を起用。
この最新のauのCMでの決め台詞が
「頑張りすぎるなよ」。

auのCMだけでなく、そこかしこでこのセリフが使われており、
お聞きになっている方も結構いらっしゃると思う。

ここから推測されるのは、
「頑張りすぎるなよ」と言ってくれる人に好感。
「頑張りすぎるなよ」を言うことがかっこいい。


こんな感覚が、
若者たちや、僕らの間にも定着しつつあるということ。


今の「頑張りすぎるなよ」の使われ方に疑問



「頑張りすぎるなよ」、
という言葉自体は優しさから生まれてくるもので、
僕も嫌いなわけではなくむしろいい言葉だと思う。

だけど、いま使われようとしている
「頑張りすぎるなよ」は、
決して僕は正しい意味で使われているとは思えない。

この言葉は、かっこつけるために、
気安く使っていい言葉ではないからだ。
軽薄、冷たい、諦め・・・
そんな危険なニュアンスが含まれる言葉だと思っていたからだ。


ほぼ日のコラムが素晴らしかった



そんな僕の悶々とした想いを、
糸井さんがきれいに言葉にしてくれていた。

(糸井重里さんのサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」で
掲載されている糸井さんのコラム
「ダーリンコラム」にて書かれていた内容を、
僭越ながら引用させていただきました。)

<ばかにしないということ。>

 「人をばかにしちゃいけない」というのは、
 よく言われることで、これはもう、
 まったくもってその通りなのです。

 倫理の問題だけではなく、
 損得の問題だけでもなく、
 快不快の問題だけでもなく、
 もっと大きな次元で、どーんと言えるんだと思います。
 「人をばかにしちゃいけない」んです。
  
 で、その「人」のなかには、
 つい忘れられがちな一人がおりましてね。
 それが、「わたし」なんですね。
 「わたしをばかにしちゃいけない」んですよね。

 あんがい、ぼくらは「わたし」をばかにしてます。
 どうせ、こんなもんだろう、と、
 高をくくって見ていたりするものです。

 ぼくも、そういうところがあります。
 「わたし」が、ばかにされてるものだから、
 ぐずぐずになっちゃうんですよね。
 おそらく、部屋がちらかるのも、禁煙ができないのも、
 朝起きられないのも、ダイエットに成功しないのも、
 じぶんで、「わたし」をなめてるからだと思うんです。


 ダーリンコラム「<ばかにしないということ。>」より


僕が抱く「頑張りすぎない」という言葉への嫌悪感や不安が、
見事に言葉になっていた。

僕が言いたかったことは、
「頑張りすぎるなよ、と(自分や相手に)いうこと」

「自分や相手を無意識にばかにしていること」


本当はもっとできるのに、
頑張りすぎちゃだめだって、
じぶんをばかにして、
じぶんはこんなもんだって線を引く。

頑張りすぎってどこからが頑張りすぎなの?
それって、自分自身が”頑張りすぎライン”
決めていることが大半だと思う。
じぶんをばかにして、
これ以上は頑張りすぎになるって決めているんだと思う。
つまりは、体のいい言い訳。


自分は信じられなくてもいい、自分をばかにしちゃいけない



さらに、糸井さんのコラムの一部。

 じぶんを信じるって言えるほど、
 じぶんは信じられるやつではないんだよな。
 でも、そんな信じられないじぶんでも、
 ばかにしちゃいけないんだ。
 そういうことなんだ。

 (中略)

 ばかにしなけりゃならないことなんて、
 いついかなるときでも、ほんとは、ない。

 嫌いなものは、あるはずだ。
 見たくないものも、あるだろう。
 やっつけたいものも、あるよ。
 だけど、それはそれ、
 ばかにする必要も、ばかにする意味も、まったくない。

 ダーリンコラム「<ばかにしないということ。>」より


「じぶんは信じれなくても、
でも、じぶんはばかにしちゃだめだ。」

ここにエッセンスが集約されている。

人にばかにされたら嫌な気分だしむかつくのに、
じぶんにじぶんをばかにされることは歓迎。気持ちいいから。

他人に頑張りすぎるなよっていってしまうのは、
「君も頑張りすぎたらだめだよ。
僕も頑張りすぎないからね。」

ってじぶんに言い聞かせることが、気持ちいいから。

でも、

「ばかにしなけりゃならないことなんて、
いついかなるときでも、ほんとは、ない。」

だから、僕は、頑張りすぎるなよって言葉は、
自分以外の人にも簡単に使っちゃだめだと思う。
ばかにしちゃ、だめだと思う。

頑張りすぎるなよなんて、
何も生み出さない言葉、
あきらめの呪文だ。


頑張りすぎるなよって言葉の本当の使いどころ



「頑張りすぎるなよ」って言葉は、
一回死ぬほど頑張ったことがあるやつとか、
本当に頑張りすぎちゃうやつとか、
そういうやつらに、
とっておきの瞬間にだけ言ってあげよう。


僕が友人の海外への旅立ちに立ち会うなら、
「頑張りすぎるなよ」じゃなくて、
きっと糸井さんの言葉を借りて
「じぶんをばかにするなよ」
って言ってあげたいと思う。
「後悔しないように、死ぬほど頑張れ!」って。

海外行くチャンスがあるなら、
言い訳しないで、がむしゃらに頑張って、
一回頑張りすぎるくらい頑張って、
でも体を壊してしまいそうな時はしっかり休んでって。
決してじぶんをばかにするなって。


僕は



絶対にじぶんをばかにしない。
頑張りすぎるなよって、じぶんにも相手にも言わない。
きっともっとうまくやれる。
きっともっとすごいことがやれる。

そう思って、生きていこうと。

かなり一生懸命書いて、
長くなってしまった。
駄文&長文となってしまいごめんなさい、
けれど共感してくれる人がいれば嬉しいです。

んちゃ。


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Posted by fkd at 20:00│Comments(1) life
◆ この記事へのコメント
恋人が海外に行き、忙しさと距離を理由に
一方的に気持ちを押し付け終わらせました。

自分があまり傷つかない方法で彼女をいっぱい傷つけました。
頑張っての一言でいい人になってました。

彼女ときちんと話したいと思います。
恋しいですから。
Posted by 通りすがりの者 at 2009年03月11日 23:42
 
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