クラムボン【Re-clammbon tour@NHKホール】レポート

fkd

2009年06月12日 20:00

6月8日NHKホール・クラムボンライブ レビュー



6月8日にNHKホールで行われた、
クラムボンのライブ「Re-clammbon tour」に行ってきた。
今回はそのライブのレポートを書きたいと思う。
本題に入る前に、
僕がこのレポートを書いた理由を簡単に述べさせていただきたい。



「楽しい、楽しい、楽しい」
とミトはライブ中繰り返し叫んだ。

しかし、ただ「楽しい」という言葉だけでは明らかに足りない。
それは、アンコール後、
終演のベルが鳴っても十数分鳴りやまなかった拍手と、
演奏されたシーンを今でも簡単に思い浮かべられる現状が、
確実にそうであると言っている。

僕が今日のクラムボンのライブから感じた、
”満ち溢れいてた何か”
これを伝えることが、今後数年は体験することができないであろう、
化け物のようなライブのレビューを書く唯一の理由であり、
一種の使命のようなものだ。

一つ一つ、その”満ち溢れいてた何か”を
解き明かしていきたい。
(少々長くなってしまい読みにくい箇所もあるかと思うが、
どれもが必要な文であるため、ぜひ我慢して読んでいただきたく。)

”満ち溢れいてた何か”―情熱を帯びた音符



郁子の伸びやかでどこまでも喜びに満ちていて、
ミトのベースはひたすら歌い続け、
大助のドラムはただ静かに力強かった。

「癒し系のクラムボンだって、
こんだけの音が出せるって事を示します」


と若干の自嘲ではじまった「Re-意味はない」や
「ララバイ・サラバイ」「Re-雨」の演奏は、
最小限の音で構成されているのに、
これでもかというくらい重厚
でただただ驚いたし、

「便箋歌」や「波よせて」は割れ物を取り扱うように、
とても大切そうに、大事に大事に演奏され、
涙が何度も出そうになった。

どうしてそんな音が出せるのか。それは、
一つ一つの音符に対する情熱が並みはずれているからだ。



1曲が何個の音符でできているのかは正直わからないが、
たったの一つの音符のために、
  あれだけ気持ちを込めて弦を書き鳴らす男を、
  あれだけやさしい気持ちを込めてドラムを叩く男を、
  あれだけ丁寧に包み込むような声を出す女性を、
僕は初めて見たような気がする。

”満ち溢れいてた何か”
その一つは、情熱を帯びた音符だ。

”満ち溢れいてた何か”―音楽を追求することの喜び



「音楽(の理想)というものがあるならば、
そこにちょっとずつ近づいていけている」


クラムボンが目指しているのは、
ただ音を大きく演奏するものでもなく、
技術に偏ったものでもなく、
流行にのるものでもなく、
音楽そのものだ。

今度出された新しいアルバム「Re-clammbon2」では、
新曲は一切無く、全て発表曲をリアレンジしたものである。


今回のツアーはも「Re-clammbon tour」ということで
このアルバムと同コンセプトの内容であったため、
ほぼすべて発表曲のアレンジバージョンが演奏された。

僕は「音楽そのものへの追及」のためには
2種類の方法があると思っている。

一つは、「音楽を見る角度」を常に変えていく方法。
そしてもう一つは「音楽を同じ側面から見続ける」こと。
どちらが早く中心にたどり着くのかはわからないが、
お気づきの通り、クラムボンは紛れもなく後者だ。
(前者のいい例は、間違いなくくるり)

先にも述べたように「Re-clammbon2」に収録されている曲は
すべて発表された曲であるが、
すべてが本当にとても新しい。
具体的に言うと、いままでよりもとても情緒的で、センチメンタルで、暴力的で、
どこまでも生温かい感じ。

その温かみの正体は、きっと「音楽」の心臓だ。
音楽の心臓を本気で掴みにいっているのだ。


ただ一つのことを追求できるということは、
とてもとても幸せな事だと思う。
追求したいと思えるただ一つのことを見つけたことも、
同じくらい幸せな事だと思う。

音楽に近づくというたった一つのことを追求できるクラムボンは、幸せだ。
そして、それを目撃できた、僕たちも幸せだと思う。



”満ち溢れいてた何か”
その一つは、何かを追求することの喜びだ。

”満ち溢れいてた何か”―よく生きるためのエッセンス



僕はライブを結構行っている方だと思うが、
ライブ後にこれだけ打ちのめされたのは初めてだった。

ライブ中とライブ直後は精気を吸い取られたかのように動けなかったし、
ライブ後はただただ呆然としてしまう時間が多かった。

それは、何より不幸なのは、
追求できるものを探さないで終えることだ
と、
思い知らされたからだ。

クラムボンは、郁子は、ミトは、大介は、
僕よりずっと「よく生きて」いるのだった。

情熱、すなわちたった一つのために打ち込むこと。
喜び、すなわちたった一つの打ち込むものを見つけること。

僕が今日のクラムボンのライブから感じた、
”満ち溢れいていた何か”―
その全ては、よく生きるためのエッセンスだった。

なんて幸福な経験



僕は本当に幸運だったと思う。
こんなことを感じとれるライブは、
かつて経験したことがなかったからだ。

(正確には、近しい感覚を、3年ほど前恵比寿リキッドルームにて行われた
 くるりのライブでも感じた事があったが、
 その時はまだここまで感じとれなかっただけかもしれない)

本当に幸運だったと思う反面、
不幸だったとも思う。

知らなくても生きていけることだし、
知ってしまったからにはもう忘れることはないだろう。
そして何より、すっかり打ちのめされてしまったから。

でも、やっぱり幸せだ。
心の底から、あの時間、あの場所に入れて良かったと思う。
こんなライブは絶対になかなか体験出来ない。
きっと、あの会場にいた誰もが、
そう思っているに違いない、そうであると信じたい。



あの時間、あの場所にいたことを、
いつか笑って振り返りたいと、切に思う。

みなさんも、クラムボンのライブにいってみてはいかがだろうか。
きっと大切な何かに気づけると思う。
ただし、生半可な気持ちで行くことはお勧めしない。
人生が変わってしまう可能性すら、秘めてしまっているから。

終わりに



ということで、
今回はかなり久しぶりに音楽のことを書かせていただきました。

2008年9月に2年ぶりにブログ復帰して以来、
音楽について書くことをやめていたんです。

その前はほぼ音楽関連のことしか書かなかったくらいで、
ブログを通じてピロカルピンという素晴らしいバンドの方とも
知り合えたりしました。
(まつきちさん、しんじろーさん、最近ご無沙汰ですいません!)

なぜ、音楽関連の記事を書かなくなったのか、
それは決して音楽への興味を無くしたからではありません。
むしろ、前よりも音楽への興味が深まったからです。

あれからたくさんの音楽を聴き、
たくさんのライブに行きました。
2年前よりも、遙かに音楽が好きになって、
音楽を少しずつ知れば知るほど、
音楽について語るのが怖くなったのです。

  音楽は本当に繊細で、
  その分豊かな表現力が秘められたものです。

  どんな作り手でも何か伝えたいものがあるから作ります。
  だから、伝えることは大変困難なことだとわかったのです。

ただ、こうして久しぶりに書くことができ、
とても面白かったです。
やっぱり書くことが好きみたいです。

大変私的な理由ですが、
こうしてまた書く気力を与えてくれた素晴らしいライブをしてくれた、
クラムボンのみなさんに、本当にありがとうと伝えたいです。

最後に、クラムボンを知らない方はもったいない!
ということで、伝説の曲をはっ付けておきますね。笑


それでは、
んちゃ。

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